2年たっても鮮明に思い出す。仕方がないのか・・・。未だに京大病院には行けないし・・・・。
昨年のブログを見るとフミコとのメールのやり取りをコピーして貼り付けている。読むと結構リアルで未だに涙が出てしまう。
「家」と「家」で言うと社交的な家と閉鎖的な家。本当に好対照である。フミコは亡くなる4日前に母親に報告した。癌とわかってから「お母さんにもお姉さん、お兄さんにも言わないで自分で言うから」・・・・。
私は家族ぐるみで付合いしてる方が多いので、フミコの調子が悪いことも言っていたのでみなさん心配されていた。
癌を宣告された夜に先輩に電話して報告したが、泣いてしまい伝えれなく8名の方にメールで知らせた。
すぐに返信が来た。「絶句・・・」「頭が真っ白」「・・・・」など・・・・。
フミコにメールのことを伝えていたので私のメールを「激励メール」として読んでいた。普段あまり感心されたこともなかったが「私には出来ないこのまめなこと・・・」と笑っていた。
寝る前にいつもフミコとメール。その内容をブログ(プライベート)には貼り付けている。きついことも書いているしそれを受け止めるフミコの気持ちが現れている。13日の夜が最後であった。14日はしんどくてメール出来なかった。14日の朝は「おむつ」することを拒んでいた。夕方に1時間いて帰った「また明日。バイバイ」と言った言葉が最後だった。2009年2月15日のAm0:30でフミコは逝ってしまった。